【朝食】

聖徳太子はいなかった!!
―これはかなり確実なことらしい。
教科書からも聖徳太子は消えつつある。
彼の記述は主に"日本書紀"にあるのだが、これがかなりの
クセもので、天武天皇(壬申の乱の勝者)と持統天皇が
自らの支配の正当性を証明するために書かせた歴史書に
すぎないのだ。
須佐之男命(すさのおのみこと)や日本武尊(やまとたける)、
聖徳太子といった日本建国の祖からつながる血統の我々
こそが日本の支配者にふさわしく、他を従える権力を
持ちうるのだ―と、こう言いたいわけだ。
もちろんモデルとなった人物はいただろうが、その実際は
イメージとはかなり異なっていると考えられる。
さらに、聖徳太子の作ったとされる十七条憲法の一節、
「和を以て尊しと為す」。
これは、日本人を語るうえでよく聞かれるフレーズだが、
一般的な「ワをモッてトウトしとナす」との発音は
実は当時とは異なる。
「やわらぎヲもっテたっとシとなス」と発音したと
考えられているのだ。
ずいぶんと違う言葉に聞こえませんか。
今朝は"肉じゃが"と"芽かぶ胡麻和え"
【夕食】

「イイクニ(1192)つくろう鎌倉幕府」は間違い!!らしい。
1192年に頼朝は後鳥羽上皇から「征夷大将軍」に
任じられている。これをもって幕府成立とするのが
「イイクニつくろう…」の考えなのだが、実のところ、
(当時は)征夷大将軍と幕府成立はほぼ関係がない。
そも、鎌倉幕府とは(特に)関東を支配する武士の
政治機構である。とすれば、幕府成立は後白河法皇が
頼朝に東国の支配権を委任した1183年か、義経追討の
ために守護と地頭を置いた1185年かのどちらかが
幕府成立の年とされるべきなのだ。
幕府設置権が将軍に付与されているとするのは後世の考えで
あって、2代将軍頼家は、頼朝が死んで暫く、幕府設置権
のみを継承し、将軍職は継いでいないのである。
「イイクニつくろう鎌倉幕府」はキレイに忘れてしうか、
「イイクニつくろう頼朝大将」と覚えるべきようだ。
…以上、歴史シリーズでした。
今夜は"揚げチキン"に"豆腐チャンプルー"